越後与板打刃物について
新潟の刃物というと燕三条のものを思い浮かべる方が多いと思いますが、弊社のある長岡市与板地域にも「越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)」という伝統工芸品があります。
今回はその「越後与板打刃物」について紹介していこうと思います。
越後与板打刃物とは?
越後与板打刃物は、新潟県長岡市与板地域で作られている刃物で500年の伝統を持つ伝統工芸品です。
鍛造技法は「火造り」で真っ赤に焼いた金属を叩いて形を作っています。
越後与板打刃物の特徴は鋭い切れ味と使いやすさです。
伝統工芸品に指定されているのは、鉋(かんな)・鑿(のみ)・鉞(まさかり)・釿(ちょうな)の4品で、城下町作りが盛んだった江戸時代中期頃から多くの宮大工を支えてきました。
越後与板打刃物は品質の高さが追求され続け、年月を経ても確かな切れ味を持つ打刃物として職人たちに愛用されています。
近年は木彫ノミや、彫刻刀、包丁、ナイフなど、技術を生かした製品づくりをしています。
越後与板打刃物の歴史
越後与板打刃物の起源は戦国時代に遡ります。
1578年、上杉謙信の家臣であった直江大和守実綱によって春日山より刀鍛冶職人が与板に連れて来られました。
以降、直江家によって鍛冶が根付き、刀だけでなく鉄砲なども製造されるようになります。
江戸時代に入り、信濃川を使った舟運が盛んになり更に与板の地は発展し、江戸時代中期には大工道具が生産されるようになり、「土肥のみ」や「兵部のみ」といった名品が生まれました。
明治時代に入ると、鉋(かんな)の製作にも着手するようになり、有数の大工道具の産地として全国に名を馳せるようになりました。
1986年、優れた刃物を生み出してきた功績から伝統工芸品に指定され、今も職人たちの手技により打刃物の伝統が受け継がれています。
現在の越後与板打刃物
大正時代には300の鍛冶屋があった与板町ですが、電動工具や替刃式の鉋の出現により大工道具の需要は激減し、現在は約10軒にまで大きく減少しています。
なぜ弊社は生き残ってこれたのか?
1.木彫り用ノミや彫刻刀など趣味で使われる道具がメインだったため
弊社は初代(私の祖父)の頃から大工道具の製造がメインではなく、木彫ノミや彫刻刀など趣味や彫り物教室で使われる道具を中心に製造してきたため、大工道具の需要減少の影響が少なかったのが理由のひとつです。
2.問屋さんを通さず小売店に納品、展示販売で直売ができるため
木彫り用ノミや彫刻刀など弊社で作る製品のほとんどに柄を入れることにより問屋さんを通さず小売店に納品できたり、展示販売などの直売ができるようになりました。
「え?それって当たり前じゃないの⁉」と思う方もいらっしゃると思います(笑)。
与板の打刃物は分業制(他の刃物の産地も同じみたいです)になっていて、一般的に以下のような流れで製品は完成します。
- 鍛冶屋がノミなどの刃を作って問屋さんに納品
- 問屋さんから研屋さんに刃付けを依頼
- 問屋さんから木工屋さんに柄入れを依頼
- 完成
ですが弊社では、刃付けも自社で行い(一部特殊な製品は研屋さんに刃付けを依頼します)、柄入れも弊社から木工屋さんへ依頼しており、自社で製品を完成させるようにしています。
そうすることで小売店に直接納品できたり、展示販売で直売できたり、オンラインショップで販売できたりと、販売チャンネルを多く持っていたことも理由のひとつだと思っています。
河清刃物が生き残ってきた理由はこの2つのことが大きいと思っています。
他にも理由はありますが、それはまた次回のブログでお話ししたいと思います。