河清刃物の歴史と道具の変化
これまで彫刻刀について触れたブログ記事が多かったですが、実は創業当初は彫刻刀は弊社のメイン商品ではありませんでした。
今回は時代と共に変化してきた河清刃物の歴史と道具について話していこうと思います。
職人の道具の製造から趣味の道具の製造へと変化
河清刃物は1957年(昭和32年)に創業し、長い間大工職人が使う木彫ノミや特殊刃物などを中心に製造していました。
新潟県長岡市与板地域は打刃物の産地です。昔から沢山の鍛冶屋が職人さんの使う道具を作っていました。しかし、職人さんが使う大工道具などの需要の減少と共に鍛冶屋の数も減り、弊社も彫刻刀を中心とした趣味の世界で使われる道具の製造・販売へと変化していきました。
弊社は今年で創業63年。初代清玄が創業し、2代目清玄(現会長)、3代目清玄(現社長)へと技術は継承されています。
職人が使う道具と一般の方が趣味で使う道具の違い
上記でもお話したように時代と共に少しずつですが作る道具も変化していきました。
職人さんが使う道具から一般の方が趣味などの木彫りで使う道具へと変化していくにあたって、大きく変化した点がありました。
それは鋼の硬さです。
職人さんは基本的に道具を自分で研ぐことが多く慣れていたので、切れ味の持続性よりも研ぎやすい柔らかい鋼を使用した道具を使っていることが多かったです。
以前に弊社のお客様から、知り合いの職人さんに道具の選び方を聞いた際に「硬い鋼を使っていればいいわけではない」とおっしゃっていたというお話をお聞きしましたが、職人さんにとっては「研ぎやすさ」の方が使いやすさの判断基準になっており、使う人によって「使いやすさの基準」は変わるということがおわかりいただけるエピソードだと思います。
創業以来「使う人の身になって考える」という弊社の社訓がありますが、このようにして作る道具の変化と共に、職人さんが使う道具か一般の方が使う道具かで鋼の使用の仕方も変化していきました。
その代表例が弊社の青紙スーパー鋼を使用した彫刻刀になります。
青紙スーパー鋼は硬い鋼で、切れ味の良さに加え、その切れ味の持続性が長いのが特徴です。
また、数年前からその切れ味の良さから青紙スーパー鋼を使用した革断ち包丁の製造も開始し、現在主力商品の一つになりました。
そして最近は包丁の評判も良いです。
包丁の製造は数十年前から行っていましたが、直売でしか販売してなく影の人気商品でした。
ですが、数年前から「鑿鍛冶が作る包丁」ということで新潟駅内のショップでも取り扱いしていただけるようになり製造数が増えてきました。
まとめ
このように時代の変化と共に河清刃物が作る道具は変わってきました。そしてこれからも変わっていくかもしれません。
ですが、切れる刃物・使いやすい刃物を作る技術は変わりません。
与板で受け継がれてきた打刃物の製造技術はこれから先も弊社が残し、使う人の身になった商品作りを続けていこうと思います。